There's only us. There's only this.
Forget regret, or life is yours to miss.
No other road, No other way.
NO DAY BUT TODAY.
---from 『RENT』, Dear Mr.Jonathan Larson---
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yamna
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性別:
男性
誕生日:
1984/06/09
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世界を夢見て飛び回る。
どこに行っても陽が上る。
そんなこの世が大好きなのさ!
一人の若造が社会に飛び出しました。
そんな男のすなる日記・・・
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Sun.09/14. 2008
ジムで汗を流した後は、夕方の映画まで久々の美術館。
行こう行こうと思っていたシャガールも結局行けずじまいだったり、他にもいろいろ見逃した美術展が多かったなあ・・・。
さて、今日はBunkamuraザ・ミュージアムにてジョン・エヴァレット・ミレイ展を見てきました。
好きな抽象派とかではなく、初となる唯美主義。
ぶっちゃけよくわからん。漢字だけ見ても???って感じだしね。
まあ、でも、わからなくても眺めていればいろいろ感じるものはあるわけだし、なんといってもハムレットを最近繰り返し読んでいたので「オフィーリア」の絵がどのようなものか見てみたくなったという興味本位からぶらぶらと眺めてまいりました。
さて、ミレイ、不思議な絵が多いですね。
人物がってちょっと苦手なんだけれど、どの絵も最初違和感を持ちながら見ていました。たぶん視線、視線がどうも普通の絵が違うんじゃないかな?って結論に至ったわけなのですが・・・どうなのでしょうねえ。
2人の人が見つめあっているはずなのに、目線の先はその人の顔にはなくちょっとずれたところを見ているものが多い。もしくは何か考えているようで考えていないような、焦点の合っていない目。3人並んでいるのにそれぞれの視線の先が異なり、なぜか一人だけこっちをカメラ目線のようにとらえていたり。
とにかく目線に統一感がありませんでした。
と、感じたのですが、ある意味それってリアリティ?とふと思ったのです。
日本的な考えなのかもしれないけれど、人間って素直な感情をそのまま顔に出すことって少ないと思う。
思っても、ふと顔を平然と作ろう、もしくは無表情を拵える。
人の目をじっと見つめることも少なく、少し顔から目線をそらせたりする。
でも、ふだん人間ってそういう仕草をしているのに、意外と当事者はそこから相手の考えを読み取ったりするわけで、もしかしたら唯美主義って、そういった感情を抑えた無表情から感情を新たに読みだす試行なのかもしれないな、って勝手に想像してしまいました。
間違っていたら誰か訂正を・・・。
まあ、とにかくミレイってちょっと今までにみた絵とは違いましたね。
そうそう。肝心のオフィーリア。
夏目漱石も感銘を受け、草枕の冒頭で叙述したことで有名なのがミレイの「オフィーリアよ、永遠に」なのですが、正直僕にはピンときませんでした。
ハムレットのオフィーリアの死は、特に演じられているわけでもなく、セリフの中でいかにオフィーリアが死んでいたかという様子を語るシーンがあるのみ。
その描写の美しさと、決して具体的な死の場面が設定されていないだけに数々の画家がそれぞれに想像をめぐらしてオフィーリアの死を描いたようなのですが。
僕の中でも割としっかりと想像されていたのです。
でも、それはオフィーリアの死んだ後の姿というより、むしろ死ぬ直前の姿であって、枝が折れて川に身が沈む直前の絵のほうが「オフィーリアの死」としてはしっくりくるのです。
だから、死した後の姿にはあまり感動を覚えなかったのかもしれません。
死した後は何も残らないと思うし、それは美ではないと思う。
死の直前の生にこそ、どうしても美しさを感じてしまうのですが、それもどうなのでしょうか?
実際、そういう場面を描いた画家もいるらしいです。
小さく壁に張られた記事にありましたが、そっちのほうがよほど僕を感動させました。
まあ、人の感じ方、重きの置き方はそれぞれですよね。
美術展自体は規模もそこまで大きくなかったし、ちょっとした時間つぶしには良いかもしれません。
でもオフィーリアの絵までたどり着くのが大変。あとはガラガラ・・・。
このミーハーどもめ!とつい思ってしまいました。
だって、大きな人物がのほうがよほど楽しめたんですもの・・・。
行こう行こうと思っていたシャガールも結局行けずじまいだったり、他にもいろいろ見逃した美術展が多かったなあ・・・。
さて、今日はBunkamuraザ・ミュージアムにてジョン・エヴァレット・ミレイ展を見てきました。
好きな抽象派とかではなく、初となる唯美主義。
ぶっちゃけよくわからん。漢字だけ見ても???って感じだしね。
まあ、でも、わからなくても眺めていればいろいろ感じるものはあるわけだし、なんといってもハムレットを最近繰り返し読んでいたので「オフィーリア」の絵がどのようなものか見てみたくなったという興味本位からぶらぶらと眺めてまいりました。
さて、ミレイ、不思議な絵が多いですね。
人物がってちょっと苦手なんだけれど、どの絵も最初違和感を持ちながら見ていました。たぶん視線、視線がどうも普通の絵が違うんじゃないかな?って結論に至ったわけなのですが・・・どうなのでしょうねえ。
2人の人が見つめあっているはずなのに、目線の先はその人の顔にはなくちょっとずれたところを見ているものが多い。もしくは何か考えているようで考えていないような、焦点の合っていない目。3人並んでいるのにそれぞれの視線の先が異なり、なぜか一人だけこっちをカメラ目線のようにとらえていたり。
とにかく目線に統一感がありませんでした。
と、感じたのですが、ある意味それってリアリティ?とふと思ったのです。
日本的な考えなのかもしれないけれど、人間って素直な感情をそのまま顔に出すことって少ないと思う。
思っても、ふと顔を平然と作ろう、もしくは無表情を拵える。
人の目をじっと見つめることも少なく、少し顔から目線をそらせたりする。
でも、ふだん人間ってそういう仕草をしているのに、意外と当事者はそこから相手の考えを読み取ったりするわけで、もしかしたら唯美主義って、そういった感情を抑えた無表情から感情を新たに読みだす試行なのかもしれないな、って勝手に想像してしまいました。
間違っていたら誰か訂正を・・・。
まあ、とにかくミレイってちょっと今までにみた絵とは違いましたね。
そうそう。肝心のオフィーリア。
夏目漱石も感銘を受け、草枕の冒頭で叙述したことで有名なのがミレイの「オフィーリアよ、永遠に」なのですが、正直僕にはピンときませんでした。
ハムレットのオフィーリアの死は、特に演じられているわけでもなく、セリフの中でいかにオフィーリアが死んでいたかという様子を語るシーンがあるのみ。
その描写の美しさと、決して具体的な死の場面が設定されていないだけに数々の画家がそれぞれに想像をめぐらしてオフィーリアの死を描いたようなのですが。
僕の中でも割としっかりと想像されていたのです。
でも、それはオフィーリアの死んだ後の姿というより、むしろ死ぬ直前の姿であって、枝が折れて川に身が沈む直前の絵のほうが「オフィーリアの死」としてはしっくりくるのです。
だから、死した後の姿にはあまり感動を覚えなかったのかもしれません。
死した後は何も残らないと思うし、それは美ではないと思う。
死の直前の生にこそ、どうしても美しさを感じてしまうのですが、それもどうなのでしょうか?
実際、そういう場面を描いた画家もいるらしいです。
小さく壁に張られた記事にありましたが、そっちのほうがよほど僕を感動させました。
まあ、人の感じ方、重きの置き方はそれぞれですよね。
美術展自体は規模もそこまで大きくなかったし、ちょっとした時間つぶしには良いかもしれません。
でもオフィーリアの絵までたどり着くのが大変。あとはガラガラ・・・。
このミーハーどもめ!とつい思ってしまいました。
だって、大きな人物がのほうがよほど楽しめたんですもの・・・。
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